企業はさまざまな人事権を持っており、人事異動も人事権を根拠に行われます。
そのため、基本的に人事異動の裁量権は企業側にあります。
しかし、完全に企業側の自由というわけではなく、契約上の根拠がなかったり、従業員の
個別の状況を考えないまま人事異動を命じてしまうと、労使紛争の火種となる恐れが
あります。
一方、正しく運用ができれば企業には業務の属人化の防止や組織の活性化というメリットが
生まれ、従業員にはキャリア形成やスキルアップなどのメリットが生まれます。
この記事では、人事異動を企業と従業員の双方にプラスのものとするため、人事異動の
基本や、トラブル回避のための方法を紹介します。
人事異動とは
人事異動とは、企業が従業員に対して、勤務地や役職、職種などの変更を命じることです。
別の事業場に勤務地を変更する転勤や、職種を変更する職種変更など、人事異動にはさまざまな種類があります。
基本的に、就業規則などの根拠規定が定められている場合には、ほとんどの人事異動で
企業側の裁量権が認められます。
特に、新卒採用や期間の定めなく採用された正社員は、人事異動を前提にした採用である
ことが多く、その場合は企業の決定した人事異動が認められるケースが多いです。
人事異動によるメリットとデメリット
人事異動には、企業と従業員の双方にメリットがあると同時に、デメリットもあります。
ここでは、それぞれを簡単に紹介したいと思います。
1 メリット
企業にとってのメリットとして、経営方針に合わせた人材の配置ができることがあります。
力を入れたい事業の人員を増員する際、新たに従業員の採用を行うと費用がかかります。
しかし人事異動ができれば、企業内の人員だけで対処することができます。
また、企業が従業員の適性を踏まえて人事異動を行うことで、適材適所の配置が実現し、
従業員の生産性の向上も期待できます。
人事異動の従業員側のメリットは、キャリア形成やスキルアップにつながるという点です。人事異動で新たな業務に就労することは、新たなスキルを獲得する機会や、その後のキャリアを考えるきっかけにもなります。このことは従業員のやる気やモチベーションの向上につながります。
2 デメリット
人事異動には、デメリットもあります。企業と従業員の双方にとって有益なものとなるため
には、人事異動を正しく運用する必要があり、正しく運用できなかった場合には、従業員の
モチベーションや生産性の低下が生じます。
従業員のモチベーション低下は離職の原因になり、企業の戦力ダウンにもつながって
しまいます。
さらに、従業員のキャリア形成を不当に侵害するような人事異動をしたり、従業員の
家族状況等に一切配慮をしない人事異動をしてしまうと、労使間での紛争が生じてしまいます。
その人事異動が不当であると認められてしまうと、多額の賠償金を支払わなければならない
というリスクも発生します。
近年の傾向と対策
これまでは、転勤や職種の変更を含む人事異動が企業の一存で決められることが多く
ありました。
しかし、近年ではワークライフバランスの考え方が浸透し、法律でもワークライフバランス
に配慮した契約の締結が求められています。
また、育児や介護を行う従業員に対して転勤を命じるときには、企業が養育や介護の状況に
配慮する必要もあります。
さらに、ワークライフバランスを求めて、労働契約を締結する時点で勤務地や職種などを
限定する「多様な正社員」といわれる雇用区分を希望する労働者も増えてきています。
企業側に大きな裁量権があるという人事異動の原則は変わっていませんが、時代背景に
応じて裁量権がだんだんとせまくなっていることには注意が必要です。
人事異動は従業員の私生活に少なからず影響を及ぼすことから、可能な限りしっかりと
説明をしたうえで、個別に合意を得ることをおすすめします。
人事異動におけるリスクやトラブルを避けるため、企業が取り組むべきことは2つ
あります。
1 自社の制度や従業員との契約内容を確認する
就業規則に人事異動についての定めをしているか、従業員との契約内容はどのようになって
いるのかなどについて、改めて確認することをおすすめします。
特に契約内容については、2024年4月からは契約の締結や更新時に、就業場所や業務の変更
の範囲を労働者に明示する必要があります。
この改正に沿って契約を結ぶことで、就業場所や業務(職種)が限定されているのかを
はっきりさせることができ、人事異動を命じる際のトラブル防止につなげられます。
2 従業員とのコミュニケーションを取る
法的に問題がないからといって、一方的に人事異動を命令するのではなく、従業員としっかりコミュニケーションを取ることが大切です。
事異動は、従業員にとって労働環境が変わる大きなイベントです。本人の希望やライフプラン、キャリアの展望などを聞き、従業員が納得できる人事異動の実現を目指しましょう。
仮に従業員の希望通りの人事異動を実現できないとしても、その人事異動によって従業員に
どのようなメリットや成長の機会が生まれるのかを説明し、理解してもらうことが大切
です。
人事異動にあたっての法的観点での注意点
基本的に企業に広い裁量権が認められる人事異動ですが、従業員に与える影響が大きすぎる
場合は法的に問題となる場合があります。
法的に問題になるかどうかの基準は、人事異動の種類によって変わってきますので注意が
必要です。
人事異動の種類に分けて、基準を説明します。
1 配置転換
配置転換には、転勤・配置替え・職種変更があります。
これらの配置転換では、「契約上の根拠があること」と「権利濫用に当たらないこと」の
2点をクリアする必要があります。
まず、契約上の根拠として、配置転換を命じることをあらかじめ就業規則に明記する必要が
あります。
ただし、就業規則に定めをおいたとしても、「多様な正社員」に対しては個別の契約で
限定されている労働条件の変更を命じることはできませんので注意が必要です。
そのうえで、以下の場合には権利の濫用となってしまう可能性がありますので、注意をして
ください。
①業務上の必要性がないにもかかわらず配置転換を行った場合
②不当な動機・目的で配置転換が行われた場合
③従業員の私生活に著しい不利益がある配置転換を行った場合
2 降格
降格とは、一般的には企業内での組織上の地位が下がることを指す言葉であり、多義的に
使用されています。
したがって、役職を外された場合や、職務等級制度などにおける等級の引下げなども
「降格」と言われます。
この降格については、降格に伴い賃金の引下げが行われているか(いわゆる、降給を伴う
降格)が重要です。
降給を伴う降格が行われた場合には、降格前の賃金との差額の賃金の支払をめぐって労使紛争になることが多いです。このような紛争になった際の重要な争点は、降格について合理性があるかどうかであり、人事評価制度が適切に運用されていなかった場合には降格について合理性がないと判断され、降格前の賃金との差額の支払を命じられてしまいます。
3 出向
出向には、もとの企業に在籍しながら他の企業で就業する在籍出向と、もとの企業との契約
を終了して他の企業と新たに契約を結ぶ転籍出向の2つがあります。
在籍出向は、もとの企業との契約関係が残ることから、就業規則に在籍出向の可能性がある
旨を記載しておけば個別合意がなくとも出向させることは可能です。
ただし、出向期間中の労働条件について変更する場合は、就業規則等に明示する必要が
あります。
そのうえで、出向元、出向先そして従業員とで、労働条件の設定について協議を重ねること
が重要になります。
転籍出向の場合は、出向元の企業との雇用関係が解消されてしまうことから、退職類似の
関係となってしまいかねません。
特に、出向期間について期限の定めがない場合には、実質的に会社を辞めさせられることに
なってしまいます。
したがって転籍出向の場合には、就業規則に出向がある旨を定めるだけでは足らず、
原則として、転籍出向をさせる従業員と個別に同意を得る必要があります。
出向を命じる可能性がある場合には、あらかじめ制度を構築しておくことが重要です。
勤務する企業が変わるということは、他の人事異動と比べても従業員に与える影響は
大きくなるため、在籍出向の場合であっても個別の同意を得ることをおすすめします。
なお、配置転換同様、業務上の必要性がない出向や、不当な目的で行われた出向について
も、権利濫用となってしまうことに注意が必要です。
おわりに
人事異動の最終決定権は企業側にありますが、ワークライフバランスを含む働き方に対する
意識が変化しているなか、各従業員の状況や契約内容などを考慮した人事異動を行わなければ労使間のトラブルや法的な問題につながる可能性もあります。
一方で、正しく運用すれば従業員の生産性やモチベーションを最大化する方法にもなり得ます。
適材適所の観点で人事異動を行い、従業員のパフォーマンスを引き上げる施策として活用
することをおすすめします。
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